ノート保存にまつわるエトセトラ。

ノート類にまつわる話

九月も中旬を過ぎました。

今年こそ、早め早めに動こうと考えたわたしは、年末に向けて不要物を片付けようとしているところです。

今回、わたしが片付けようとしているものは。

本はこまめに売却しているから、今回、片付けようとしているものは使っていない家具とか、そういう類の物ね。折よく不用品買取のチラシが入っていたから、試してみようかなあと考えているところ。

それで家具を空にするためにものを取り出しているのですが、どさどさとノートが出てきました。

以前、バレットジャーナルを書いていたときのノートです。わたしはMDノート(A5サイズ)をバレットジャーナルとして活用していたのですね。

さて、このノート、どうしよう、と戸惑いました。

日記帳を処分するか、しないでおくか。

この一年間、読み返さなかったものです。ミニマリストを志すなら捨ててしまってもいい範疇に収まります。でも読み返してみると、なんだか愛しさのようなものが込み上げてくる。

むかしのわたしも同じところをぐるぐる回ってたんだなあ、と当時の自分に苦笑して、でもなんとか突破口を求めていた気持ちに共感してしまいそうになったり。

それに、このノートたちの前に使っていたノートたちを捨ててしまって後悔したから、今、このノートたちを捨てることに対して、ちょっとしたためらいが芽生えてきました。

ですから残しておく家具の空き場所にノートを納めることにしたのですけれど、はて、と考え込みました。

ノートってどのくらい保存しておくもの?

スケジュールだけを書いたノートならば、もっとサクッと捨てられたかもしれません。用済みになったらおしまいよ、みたいな感じで。

でもバレットジャーナルは、スケジュール管理だけではなくて、その時々のわたしの日記を書いたものでもある。

わたしが死んだ後なら中身を見ないで処分して欲しいけれど、まだまだわたしは生きているものなあ。過去にヒントを求めて読み返したいと思う時があるかもしれない。事実、これ以前に書いていた日記帳を処分して後悔した……。

生活に対して、両極端な憧れがあります。

わたしはInstagramで手帳デコの投稿を眺める趣味があるのですが、多くのかたが、手帳を長く保存されているのですよ。それこそ、箱にい〜っぱい保存されていて、すごいなあ、と、圧倒されます。

同時に、わたしはYouTubeでミニマリストの生活動画を眺める趣味があるのですよ。少ない物ですっきり暮らしている人の生活を眺めていると、これぞ理想の生活と感じることも多く、だからこそ毎日の掃除を続けるモチベーションになります。

つまり、わたしは両極端なものに憧れを持っているのです。

たくさんのシールやマスキングテープを所有し、活用して手帳を書く生活と、できるだけ少なくなるようにものを減らして、シンプルに暮らす生活。

だから自分の生活を整えるとき、混乱する時があるのです。結局のところ、わたしはいつも自分の心の声に従って動いているのですが、そんな自分を判じるときに、「これでいいのかな」という気持ちになります。

あやふやな物差しが、わたしの中にはあります。

それをもう少し、頼れるようになれたら。強く主張できるようになったら、いつも心の奥底にこびりついている不安を切り離すことができる気もします。

ただ、不安というものは「自分を正しい」という思い込みに固定させてくれないものでもあるから、今のままでもいいのかな、と思いつくこともあるのでした。

おわりに。

とりあえず、ノート。

今回はこのまま保存しておきましょう。保管できる場所と保管してもいい期間が、まだわたしには残されているのですから。

ちなみに、現在、来年の手帳会議を行っているのですが、システム手帳から、とじ手帳に戻りそうだから、保存しておくノートは再び増えていきそうです。

どのくらいの期間、ノートは保存しておくものか?

その議題に対するわたしの答えは、「病気で余命宣告されるまで」としておきましょうか。人生のこの先がないと分かった時、わたしは自分のノートを処分するでしょう。わたしにとって日記帳は、わたしに寄り添って欲しいものであって、他人の目に触れて欲しいものではないのです。

 

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