手短に庭掃除を済ませてきました。

生活にまつわる話

わたしが住んでいる家は、亡くなった祖父母が建てた家です。

定年退職した祖父が祖母とともに、自分たちの理想を詰め込んで建てた家なのです。だからなかなか立派な庭があります。建てた当初、この家には植木なんてひとつもなかったのですよ。その状態から、祖父母はあちこちの市場に行って、植木を増やしていったのですね。

覚えています。学校から帰宅すると、祖父母が嬉しそうにわたしを呼んで、新たに植えた植物を見せてくれたこと。時にはわたしが嫌がるとわかっているのに、植木についた毛虫を見せてわたしの反応を面白がっていたこと。

ですからわたしが老後も暮らせるように家をリフォームした際、植木を撤去するという考えは少しも浮かびませんでした。この家は、わたしが祖父母から受け継いだもの。祖父母が愛した植木を、勝手に撤去してはいけない。そう感じたからです。

その判断を、今のわたしはちょっとだけ後悔しています。

なぜなら祖父母が植えていった植木は立派に育ち、わたし一人では十分に世話ができないからです。バサバサと枯葉は隣の家にまで落ちていくし、余計な枝を切る時、力が足りないなあと感じます。

でも世話しないわけにはいきません。今日、ジムから帰ってきたわたしは、外に出ているついでだ、と自分のやる気を奮い立たせて、庭の雑草を取りました。

雑草だけではなく、枯葉や野良猫たちの落とし物も集めてゴミ袋に入れました。すると紙袋ひとつ分の量になり、しまったな、と考えました。まさに今日が燃えるゴミの収集日だったのですよね。でも土日に庭掃除をしたくなかったし、というわけで、よしとしました。

本当はもう少し掃除の範囲を広げたかったのですけれど、空がいよいよ本格的に曇ってきたのですよ。雨が降り出しそう。今日はこの程度にしておくか、と考えたのですが、今、窓の外を眺めたら、雨はまだ降り出していません。

むーん、もう少し掃除すべきだった? でも夕食の支度をしなければならないから、今日はよしとします。

わたしは時々、自分が死ぬ時を考えます。

きっとギリギリまでこの家に住むでしょう。いろいろな問題があって売却できないこの家は、わたしが亡くなった後どうなるのでしょうか。祖父母が植え、わたしが雑に面倒を見ている植木は。

きっと撤去されるのね。そう考えると、切ない気持ちになります。

立派に育った植木にも申し訳ない気持ちになります。30年以上、我が家で育ってきた植木はわたしが死んだ後、無惨にも撤去されるんだ。そう考えたら本当に寂しい気持ちになります。せめて公共の場に植えられた木だったらよかったのに。春夏秋冬、通行人に愛され、長く存在し続けることができるのに。

 

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