セミナーにあてられてきました。

書いた話にまつわる話

友人に誘われて、ビジネスセミナーに参加してきました。

初めてセミナーに参加したわけではありません。ですから正直なところ、得るところはあまりないかもしれないなあと考えていたのです。が、セミナーを構成する人々の熱量にあてられました。

セミナーが終わってから、ぼうっと考え込んでいます。自分の心と向き合う作業はなかなかしんどいですね。まるでトランポリンみたい。あちこちに跳ねて、どの方向が正しいと結論づけられるものでもないんですよ。というか、あちこちに行き来する感情は、正しいとか正しくないという評価を飛び越えて、いろんな人の考えに反応しているだけかもしれません。

数日前に、夢をあきらめるべきかもしれないと考えてる、とブログに書きました。

でも皮肉なことに、今日のセミナーでは逆に夢をあきらめないで、望みを諦めないで頑張り続けた人がたくさん登場されていたんですね。むしろ身近なところに、こんなにたくさん夢を叶えた人がいるんだなあと感じてしまって、動揺しました。

その人たちにできたことなんだから、わたしにもきっとできる。

と、素直に考えられたらよかったのかもしれません。以前のわたしは、そう考えていました。そして繰り返し自分を励まして挑戦して挫けてしまう過去を思い出せば、素直になるよりも、もうちょっとやり方を変えたほうがいいんじゃない、という気持ちになるのです。その、少し違えた方法がさっぱりわからなくて途方に暮れるんですが。

小説を書き続けて、書けなくなって、もう長い時間が過ぎました。

こんな時代ですから、小説を書こうという人はたくさんいます。そういう人たちの情熱にもあてられて、つらくなるときもあります。つらい理由はわかっています。本当は小説を書きたいからです。自分が大好きになれる小説を書いて、作家として生きていきたい。そういう夢がまだ、わたしのどこかで息づいているから、まだまだ、苦しく感じるのでした。本当に諦めていたら、切り捨てることができているなら、つらくないでしょうに。

書けない時は無理しなくてもいい。そう説いてくれる本にも出会っています。

そうなんでしょうか。書けなければ、書かなければ、いつまで経っても書けないままではないのでしょうか。書けない人間が書かなくなって、また書けるようになるにはきっかけが必要だったらどうしよう。そのきっかけはどこに転がってるんだろう。書けない自分が書ける自分に変わるためのきっかけ、欲しくてたまらないのに、わたしの目にきっかけは映ってくれない。

これだからセミナーっていやだなあ、とも思います。でも行ってよかった、とも思います。ちっぽけな自分がますます小さく縮こまっていこうとしている、そんな姿に気づくきっかけにはなったからです。

あれこれ考えて、その考えのどれにも結論なんて出てないし、ましてや人生を変えるきっかけは相変わらず目に入ってないけれど、今日の夜もパソコンに向かって小説を書けるように奮闘してみよう。書き始めたら書けるんだ。そういう瞬間が訪れる時だってあるんだから。

 

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