今日は定期受診の日。

持病

雨がひどく降っています。

昨日から今日、続いてスマホが警報を発したから、ビクッと反応してしまいました。自然災害はしかたないと思いながらも、ひどい結果にならなければいいと祈ってます。わたしはテレビを見ないのですが、それでもネットニュースやSNSから伝わってくる情報もあります。

ともあれ、気分を切り替えて午前は出かけてきました。今日は月に一度の定期受診がある日なのです。今日はそんな1日について書いていこうと思います。

午前はクリニックに行く。

以前は片道一時間半かかる場所にある病院に通院していたから、なかなか大変でした。病院に着いたら、診察まで一時間以上待ちます。予約していても待つ時間が長かったから、暇潰しの本は必須でした。朝一番に到着しても、診察が終わるのは昼というタイムスケジュールが当たり前。当時はフレックス勤務で平日を休みにしていましたが、貴重な休日がそんな感じで潰れてしまうのは、なかなかのストレスでしたねえ。

現在は、近所にある個人クリニックに通っています。歩いて行ける距離ですから、サクッと出かけられます。予約した時間より前に到着しても、スムーズにそのまま受診出来ることが多いですね。病院を変えてよかったなあと実感する瞬間ですよ。

待合室で名前を呼ばれたら担当医に診察されます。精神科ですから、熱を測ったり、という計測はありません。シンプルに「この一ヶ月はどうでしたか」と問われて、わたしが簡単に経過を話す程度です。いまのところ、問題はありません。かろうじてというなら、便秘に対する不安と迫るワクチン注射への不安が大きいことくらいでしょうか。今日の診察でそれらの不安について話したところ、ワクチンに対して詳細な説明をしていただき、さらには便秘に対する薬を出していただくことになりました。

診察が五分ほどで終わったあと、再び待合室で待ちます。今度は看護婦さんから呼び出されます。なんのためにかと申しますと、注射のため。わたしの持病に用いられる薬はエビリファイという薬なのですが、内服液ではなく注射タイプなのです。

二年前、わたしは持病を悪化させて入院までしました。その時まで内服液を出していただいていたのですけれど、実は服用してなかったのですね。なぜ服用しなかったのかというと、「精神科の薬を飲んでいたら小説が書けなくなるよ」と言われてしまったから。小説家になりたいという夢を叶えるために飲まなかったら、病気が再発してしまったのです。結果、たくさんの人に迷惑をかける事態となってしまいました。

小説家を目指すどころじゃない。自立した、まともな生活を送りたい。

そう考えたわたしは、今度こそ薬を拒絶しなくて済むように、注射タイプの薬を選んだのです。これは月に一度、筋肉注射するだけで内服液と同じ効果があります。筋肉注射ですから、お尻に打たれます。少々恥ずかしいのですけれど、病気を悪化させないためだと割り切って毎月受けています。

薬を服用したら小説家になれない、という言葉にかけられた呪いはほとんど効果を失っています。なぜって薬を服用しなくても小説を書けなかった時期が存在するのですから、それはただの言いがかりだと言い聞かせています。違うかもしれませんが、病は気からです!

午後は訪問看護を受ける

定期受診はこれでおしまいですが、病気にまつわる用事はこれでおしまいではありません。

毎週金曜日、わたしは訪問看護を受けます。なぜかと申しますと、わたしは天涯孤独の一人暮らしですから、再び病気になっても異変に気づく人がいないのですね。病気の再発を防ぐため、わたしの生活をチェックしてもらうために、訪問看護を受け入れています。

訪問看護では看護婦さんがやってきます。いらしたらまず、バイタルチェック。熱と血圧を計測されます。それからカウンセリングです。

診察時間よりも長い時間、わたしは話します。最近おかしいと思ったこと、不安になったこと。看護婦さんはひとつひとつ相槌を打ちながら、カウンセリングしてくれます。肯定されることもあれば、否定されることもあります。病状が安定していたら、感情的になることもありません。不安定な時は訪問看護の頻度も増えますし、状況によっては入院もすすめられます。この一年はそういう事態にならず、安心しているところです。

訪問看護は一時間ほどで終わります。看護婦さんが帰宅されたら、ほっと気が抜けます。病院での診察も自宅での訪問看護も、どちらも不安な気持ちになることはないのですが、やっぱり気が張ってしまうのですね。ですから無事に終われば安心します。

おわりに。

月に一度、定期受診がある日はこうして終わります。

面白みのない一日だと思いますが、人によっては珍しく感じる一日かもしれませんね。ある面では治療に専念できるのだから、贅沢な状況だと言われてしまうかもしれません。

わたしはその言葉を否定できません。いろいろな出来事があって、模索して、こういう状況になりましたが、たくさんの人に支えられてるな、と感じている日々ですから。

同時に、どうしようもなく自立できてないなあと感じてしまうときもあります。

経済的にあれこれ考えて対策したり、家事も全て自分でこなして、他人から「頑張ってるよ」と評価されても、わたしは自立できてないなあと感じることが多いです。

なぜこの病気になってしまったのか。

やっぱりそう考えてしまう時はあります。たまに、わたしと同じ病気の家族を持つ人が「この子はなんのために生まれてきたのか」と嘆いているさまを見かけると、苦しくもなります。ただ、こうも思います。生まれてきた理由は、当人以外の人の目には見えない、とも。

わたしは単純に、わたしの人生を満喫するために生きているんだと思います。

統合失調症という病気は、人生を満喫する目的を確かに阻害します。邪魔です。この病気だからこそ、しなくてもいい馬鹿な行動もしてきました。諦めなければならないものもありました。でも二十年以上もこの病気に付き合ってきたら、開き直っている部分も出てきます。そうしてこの病気になってからも続いてきたこの人生に対して、思うのです。

わたし以外の誰が、この人生をまっとうできるのか、とね。

恥ずかしい失態もたくさんあります。家族以外の人に話せないようなこともしました。みじめな状況にもなりました。でもすべてやらかしてしまった当人だから、耐えられます。他人事なら耐えられなかったけれど、当人事だから耐えるしかないのです。そういう理由も含めて、わたし以外の人間は、わたしの人生を生きることができないだろうなあと思います。

素晴らしいというわけでもない。ちっぽけな人生です。
でもわたし以外の誰も生きることができない人生だなあと今日も思うのでした。

 

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